横浜地方裁判所 昭和36年(ワ)192号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
〔判決要旨〕一、一応賃料とみるべき対価が支払われている限り、社宅使用の法律関係は原則として賃貸借と考えるべきであつて、これについては借家法の適用ありと解すべく、本件判示の住宅委員会規定の「退社した者は、特別の事情がない限り、六カ月以内に立退かねばならない」旨の条項は、同法第六条の規定により、無効と解するのが相当である。
二、社宅の賃貸借解約の申入について、賃借中の従業員が退社によりその資格を失つた場合には、そのこと自体が解約申入にかなり強度の正当性を与えるものとみるべく、これに判示のような、社宅が少なく、従業員の入居希望を満たすに足りないことを考え合せると、本件解約申入には正当な事由があつたと認めるのが相当である。
〔判決理由〕ところで、本件社宅使用の法律関係について、それが賃貸借かまたは単なる使用貸借にすぎないかについて争いがあり、その如何によつて住宅委員会規定中の右条項の適用の有無が別れることになるので、まずこの点について検討を加える。
被告本人尋問の結果によると、被告が本件社宅に入居した当初の社宅使用料は一カ月二五〇円位であつたことを認めることができ、この使用料額は、当時の社会経済状態に照らしてみても、本件社宅の使用と相応する対価関係に立つものでないことは明らかであり、従つて名目的なものにすぎなかつたといえるかもしれない。しかし、昭和二九年頃被告が本件社宅に六坪余の増改築を加えたことは当事者間に争いがなく、証人(省略)の各証言と被告本人尋問の結果とを合せ考えると、右増築の後間もなく原告会社では本件社宅の使用料を一カ月二五〇円位から一挙に二、五〇〇円に増額したこと、右増築の費用はすべて被告が負担支出していること、原告会社では会社の費用をもつて社宅の修理をしない方針をとつており、修理はすべて居住者が自費で行つて来たことを認めることができる。(省略)他に以上の認定を動かすに足る証拠もない。
一方、真正に成立したことに争いがない乙第四号証によると、原告会社では被告の退社後も昭和三六年度分の本件社宅使用料の受領証に賃料なる表示を用いていることを認めることができ、この事実からみると、原告会社では従前から本件社宅使用料を賃料として取扱つて来た事実を推認することができる。
以上認定の諸事実に、本件社宅の実測坪数が二六坪四合余であることを考え合わせると、一カ月二、五〇〇円の本件社宅使用料は、一般の借家の場合とくらべて低廉のきらいはあるにしても、原告の主張するように必らずしも名目的なものと断じ去ることはできず、その実質はやはり賃料であつたとみるのが相当である。本件に現れた全証拠を検討しても、この認定を左右するに足る資料はない。
してみると、一般に、一応賃料とみるべき対価が支払われている限り、社宅使用の法律関係は原則として賃貸借と考えるべきであつて、本件においてこれを、別異に解すべき特別の事情は現れていないから、本件社宅の使用関係は賃貸借であつたといわざるをえず、それが賃貸借である以上、これにについては借家法の適用ありと解するのが相当である。
社宅の使用関係を賃貸借と認めながら、一般の家屋賃貸借とは性質を異にすることを根拠として、借家法の適用を排除する見解は、当裁判所はこれを採らない。なるほど、社宅は、従業員一般を対象とする福利厚生施設の一つであるとともに、これを設けて従業員の居住の用に供することによつて使用者の事業上の利便にも役立つものであるにちがいないが、雇傭関係と社宅の使用関係とは常に表裏の関係に立つものではなく、両者の関係が開始の時を同じくしなければならぬことはないと同様に、社宅を賃借居住している従業員について雇傭関係が終了すれば、同時に社宅の使用関係も終了しなければならぬという要請はない。社宅を使用することが従業員たる身分を有する者に限られることは、社宅に入居するに際しての資格要件とみるべきであり、いつたん入居した従業員から賃料たる対価を徴収して社宅を使用させる限り、賃貸借関係が成立して、その従業員に対しては賃借人としての正当な保護を与える必要があるからである。社宅であるからといつて、従業員が使用者の同意を得て附加した造作について、買取請求権を与えずともよいとする根拠もなく、また社宅所有者が交替した場合に、賃借中の従業員の賃借権を無視することも許されないことを考えるべきであろう。そして、社宅を賃借中の従業員が退社その他の事由によりその資格を失つたような場合には、賃貸人たる使用者が解約の申入をするについて、かなり強度の正当事由を備えるものとみることができるであろうから、借家法の適用を認め、解約による賃貸借の終了に借家法の制限が加えられたからといつて、貸貸人たる使用者の正当な権利が不当に制限されるおそれもないであろう。
以上のとおり、本件社宅の使用関係は賃貸借であり、これについては借家法の適用があるから、さきに認定した住宅委員会規定中原告の挙げる(ロ)の条項、すなわち「退社した者は、特別の事情がない限り、六カ月以内に立退かねばならない。」旨の条項が、本件社宅の使用について適用さるべきものかは、被告が右規定のあることを知らされていたか否かを論ずる前に、借家法の規定に照らして判断すべきことである。
ところで、右条項は、退社した者に六カ月の明渡猶予期間を与えている点で、必らずしも賃借人に不利益な定めとはいえないようにみえるかもしれない。しかし借家法第一条の二および第三条が、正当の事由ある場合に限り、六月の猶予期間をもつて解約の申入をなすべきことを定めている趣旨から考えると、退社したこと自体をもつて全面的な正当事由と解することも早計であり、右条項は、やはり借家法第一条の二および第三条の規定に反し、賃借人に不利益な条項として、同法第六条の規定により、これを無効と解するが相当である。(中略)
そこで右の解約申入に正当な事由があつたかについて検討しなければならない。
社宅の賃貸借解約の申入について、賃借中の従業員が退社によりその資格を失つた場合には、そのこと自体が解約申入にかなり強度の正当性を与えるとみるべきことは、さきに説明したとおりである。そして(証拠―省略)を合せ考えると、原告会社は昭和二八年頃経営不振に陥つて会社更生法の適用を受けたことはあるが、昭和三五年頃から株式会社木下商店が経営に参加して、いつたん滅資した後、さらに増資して事業の拡充をはかり、経営も軌道に乗つて、昭和三六年三月現在で六三一名の従員がいるが、そのうち借家住いをしていて社宅に入ることを希望している者九〇名位、原告会社として社宅に入れる必要ありと考えている者三〇名位いること、原告会社には社宅が一七、八棟の外寮が一棟あるのみで従業員の入居希望を満たすには足りないこと、原告会社の労働組合においても退職居住者の社宅明渡を希望していることを認めることができ、右認定を動かすに十分な証拠はない。被告は、原告会社は経営不振で、現にその資産の売却処分をはかりつつあり、社宅の必要などない旨主張するが、さような事実を認めるに足る証拠は、本件に現われていない。
右認定の事実を綜合して考えると、原告会社が本件社宅の解約申入をしたについては、正当な事由があつたと認めるのが相当である。
もつとも、被告人尋問の結果によると、被告は本件社宅は母および妻子ら五名とともに居住していて、即時明渡を命ぜられても適当な立退先をもつていないことを認めることはできるけれども、被告が退社して従業員たる身分を失つたのは、自己の都合による任意退職であることからみて、かような被告側の事情をもつて、右認定の正当の事由あることを動かすことはできないといわなければならな。また被告は、かねてから退職する際には退職手当として本件社宅を分与してもらいたい旨原告に申し入れ、その諒解を得ていた事情があり、退職に際して受取つた退職金が僅少であつたこと等の事情を挙げて、原告のした解約の申入は信義則に反する旨の主張もしているが、証人(省略)の証言および被告本人の尋問の結果によると、被告は退社に際し所定の退職金を受領していることが認められ、これに前認定の諸事実を合せ考えると被告の挙げるような事情があつたところで、原告のした解約の申入をもつて信義則に反するとまで認めるには不十分である。(裁判長裁判官堀田繁勝 石沢健 谷川克)